2009年07月29日

山田町と北山田町のこぼれ話し

こんにちは青花です。
暑い日が続きますね、昨日朝早くから散歩に出かけました。
道中に神社があり拝殿に腰をかけてしばし休憩すると、涼風がスーと吹き抜けなんとも気持ち
のよいものでした。夏の朝の散歩は気持ちがよいものです。
南草津近辺には立派な神社がありますが、草津方面にも数多く見受けます。

今回はこの日散歩にでかけた山田学区の四方山話を紹介したいと思います。
南草津の老上地区の北側に位置するこの山田学区ですが、農業が盛んで漁業も一部
行われています。


【北山田のハウス群】
山田町と北山田町のこぼれ話し

旧草津川のサイクリングロードを歩き北山田町付近に入ると、ビニールハウスが一面に
広がります。
ここは県内でも有数の野菜産地として有名なところで、昔山田大根で今は草津メロンの産地
であります。
山田大根ですが幻の大根となりつつあります。
山田大根はネズミ大根の一種だそうですが、ネズミのシッポのように根の先端が曲がって
います。
この山田大根ですがここ北山田で産出され、そのまま品種名となったようです。
雪白色でキメが細かくて、漬物にするとなんとも美味しい漬物になったそうです。
大津、京都と出荷され山田大根ともてはやされたと聞いています。
私は草津の出身ではありませんがこの山田大根は子供の頃、親父がよく山田大根と
言っていましたから聞き覚えがあります。

しかしこの美味しい大根は昭和30年の前半頃で姿を消してしまったそうです。
それは連作ができないことと、病気に弱くこれがどうしても解決できなかったようです。
しかし今でも僅かですが、北山田の農家で自家消費用に作っている方もおられると
聞いています。
子供の頃は食べていたのでしょうが記憶に残っていません。一度食べてみたいものです。

大根の話しはさておき、現在この北山田町の特産物となったのは「草津メロン」です。
草津メロンとはいいますがメロンを作っているのは、ここ北山田だけだそうです。
品種的には、タカミ、アムス、ホノカなどが栽培されており烏丸半島道の駅でも
予約販売されていますが、北山田町の直営販売所でシーズン中販売されています。
甘くて美味しいとの評判で今ではすっかり草津の特産物となりました。


【山田漁港】
山田町と北山田町のこぼれ話し

山田漁港と言うと琵琶湖に漁港?と不思議に思う方もおられるようです。
海の漁港と比べると規模は小さいかも知れませんが、琵琶湖には昔から漁港はあります。
とりわけここ山田漁港は琵琶湖の三大漁港(堅田、沖ノ島、山田)の一つです。
外来魚問題で往年の活気はなくなりましたが、今も多くの漁船が停泊しています。


【石の研究の先駆者】

この山田港近くには木内石亭宅跡があります。

山田町と北山田町のこぼれ話し

木内石亭(1724~1808)は全国を旅し、珍石、奇石を蒐集し後に大書「雲根志」にて分類
記録をされた方で日本の鉱物学の祖とも言われている方です。
今から200年以上も前に活躍された方ですが、200年も前となると江戸の後期に
なるのでしょうか。
車も電車もない時代に石の研究に全国を歩き蒐集されたようで、その熱意にただ驚く
ばかりです。


【若宮神社の門】
山田町と北山田町のこぼれ話し

今回の取材で知りました。私にとっては嬉しい発見となりました。
北山田の集落の中ほどに若宮神社があります。元郷社といいますからそれ程大きな神社
だとはいえないかも知れません。

山田町と北山田町のこぼれ話し 山田町と北山田町のこぼれ話し

しかし入り口の神社の由緒書きを読んでみると、ここの中門は明治36年に大津の本陣に
あった正門を買い取り移築したものであるとありました。
大津の本陣は大塚本陣ともう一軒あったように聞いています。
どちらの本陣のものであったかはわかりませんが、貴重な遺構ではないかと思います。
ここまでは北山田町の話題で、隣の山田町にも面白い話があります。


【山田港跡】
山田町と北山田町のこぼれ話し

山田町内を流れる郡上山寺川がここに来るといきなり川幅が広くなります。
上流はさほど大きくもない川なのになぜここに来ると広くなるのか、それにはこのような
歴史が隠されていました。

山田町と北山田町のこぼれ話し

この広くなったところは昭和43年までは山田港でした。
山田港と浜大津間には琵琶湖汽船の定期船が運航されていて、朝夕ともなると通勤通学の
お客さんで満杯であったそうです。当時の写真を見るとかなり大きな船が入港していたよう
で別の場所の写真ではないかと思ったりします。

山田町と北山田町のこぼれ話し 山田町と北山田町のこぼれ話し

ここ山田港跡前に杉江善右衛門さんの記念碑があります。杉江善右衛門さんはこの地の
出身のお方で、私財を投げ打って明治9年に航安組と言う渡船組合を作り、山田港から
紺屋ヶ関(今の浜大津)までを就航させました。
それまでは矢橋からが大津への窓口となっていましたが、大津へは山田港が発着場と
移り変わったようです。

山田町と北山田町のこぼれ話し
これが湖南汽船の前身となったようで、湖南汽船はビアンカの琵琶湖汽船の前身でも
ありますから、杉江善右衛門さんは琵琶湖汽船の創始者の一人と言えるかも知れませんね。

現在、市立の武道館となっているところは、山田城があったところと言われていますし、
大宮若松神社内には古墳が現存していると聞きます。
草津市内をゆっくり歩いてみると思わぬ発見があります。
この記念碑はこちらに住むようになってから知り得た情報ですし、何といっても
手がくわえられているとは言え、大津にある本陣の正門が、現存していることを
知ったことは嬉しい限りです。
南草津からそう遠くはないこの二つの町、歩いてみると他にも小さな地域歴史があります。
まずは地元から知ることも大切なことだと思っています。


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Posted by 青花 at 12:15 │ 青花さん