2008年12月05日

矢橋道を歩く。

【草津市の花・青花】

こんにちは初めまして、ミナクサレポーターの一員となりました、「青花」と言います。よろしくお願い致します。
青花(あおばな)は草津市の花でツユクサの変種です。真夏の早朝から咲き出し陽が昇ると萎れてしまいます。

夏このあおばなの花弁を集め、あおばな液を和紙に染込ませたのがあおばな紙(藍花紙)です。この和紙を水に戻すと色鮮やかな青色が戻ります。京友禅ではこの液で下絵を描いていましたが今では化学顔料に変わってしまいました。以前はよく見られた夏の草津の風物詩も僅かに残るだけとなりました。

南草津は若者の町として飛躍的な発展を遂げています。しかしすこし歩いてみると、古墳あり、重要文化財と小鳥が囁く森があります。田園風景から見る夕陽の比叡山が恥ずかしげに琵琶湖に影を落とします。この私(あおばな)がみなさんを南草津にご案内致します。

今日は東海道草津宿の南のはずれから矢橋道を歩きました。

【矢倉の道標】
矢橋道を歩く。


旧東海道を草津から南草津方面に進むと今は瓢箪屋さんになっていますが、店角に「右やばせ道 これより廿五丁 大津へ船わたし」と刻まれた道標がみえます。この道標は寛政10年(1798)に建てられたものです。

南にこのまま進むと東海道で瀬田の唐橋、膳所の街をすぎて大津宿につながります。一方西方向に進むと近江八景で有名な矢橋港に到り、この街道を矢橋道と言います。

東海道筋の名物として静岡(府中)の安倍川餅と共に有名な、姥が餅は当時この角に店を構えており歌川広重の浮世絵にも描かれています。

【若宮八幡宮】
矢橋道を歩く。


道標を右折して矢橋道をしばらく歩くとやがて若宮八幡宮の森が見えます。徳川家康が関が原の戦い後東海道の整備にかかり、草津宿が東海道10宿に指定されました。宿場町としての体裁を整えるため草津を支配していた膳所藩主は、この神社あたりにあった集落を街道沿いに移転させたと言います。
神社内には古墳時代後期の横穴式石室の古墳が、現存していると聞きましたが確認できませんでした。たぶん本殿のある盛り土されたのがそうではないでしょうか。このあたりが草津駅と南草津駅の中間あたりで、やや南草津寄りとなります。


【正光寺】
矢橋道を歩く。 矢橋道を歩く。
正光寺と書かれた門の前で立ち止り。中を覗いて見ましたがお寺の本堂らしきものは見当たらず、神社の鳥居が見えました。不思議に思い中に入ると八幡神社がありました。門の前には「草津歴史街道 矢橋道」の説明書きがありました。

【ムクロジの木】
矢橋道を歩く。 矢橋道を歩く。
境内に草津市内で最大のムクロジの木がありました。このムクロジの木はよく神社とかお寺には植えられるようです。漢字で書くと無患子(ムクロジ)で、患っている子供はいませんと書きます。
このムクロジは秋になると実がなります。この実ですがとてつもなく堅く、昔この実は羽子板の玉になったそうです。そういえば最近正月と言えど羽子板をやっている子供を見なくなりました。ちょっと寂しい気もします。

【猿田彦神社】
矢橋道を歩く。
正光寺は光泉高等学校裏あたりで、南草津駅から徒歩で15分ほどの距離です。虫篭窓も残る街並みを歩いていくと、猿彦神社がありました。祭神は猿田彦で道の神様だそうで、旅人はここで道中の安全をお祈りしたのでしょう。

<今回ご紹介した場所です>

大きな地図で見る

【がんばれ光泉高校】
矢橋道を歩く。
ところでこの光泉高等学校ですが、全国ラグビー選手権への初出場が決定しました。JR南草津駅を利用する選手の皆さん、滋賀県代表として健闘を祈ります。
次回はこの道の続きにある、重文の建築物を2件紹介します。是非みてくださいね。




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Posted by 青花 at 20:00 │ 青花さん